私の思い

この度は、このページにお越しいただきありがとうございました。当事務所の代表である工藤保広の仕事に対する思いをここに詳細に記します。 私の思いは、地域の皆様と新たな挑戦や逆境に合っても、繋がり合い知恵を出し合い、考え抜いてお互いに育ち続けたい、ということです。 そのために、私はささやかでも、車の無段変速機の潤滑油やクラッチ板のように、親切第一の信条の下、事業者、住民、官庁等の様々な主体を、時にはつなぎ、時には摩擦を減らすことで、課題解決を図る役割を担いたいと考えています。感心のある方は御一読いただければ幸いです。

1.「親切第一」への傾倒

2.境界は隔てるものではなく、繋ぐもの

3.北海道産業クラスター創造活動の実働部隊として

4.「親切第一」を胸に行政書士業を開業

1.「親切第一」への傾倒

私は中学1年生の時に、2冊の本と出合いました。「明治・父・アメリカ」と「人民は弱し官吏は強し」。いずれも、ショートショート1001編を残した星新一氏の著作です。しかし、この2冊はいずれも、星氏の作品としては異例の長編です。内容も実父である、星一(ほし はじめ)氏の若い頃から事業の成功を経て、官僚などの妨害で事業が傾きつつあるところまでを記した異色のノンフィクション作品です。 私は、その後の人生観に繋がる豊かなエピソードが詰まっており簡潔な文体にすっかり引き込まれてしまい、最後の裁判の陳述を終える前に、星一氏の言葉を読んで、言いしれない怒りとやるせなさを感じ涙したことを、今でも鮮明に覚えています。 星一氏は、常に前向きで和漢洋才といった心持ちで、製薬を手掛けて、製造から販売までを一貫して行うチェーンストア形式を日本で初めて導入し、国産初のモルヒネ精製に成功するなど、次々に成功を納め、一時は「東洋の製薬王」と言われました。その会社「星製薬」の最も大事な社訓が「親切第一」でした。 「親切第一」は幾通りかのパターンが記されているのですが、主な内容は次のようなものでした。 親切第一 星一 自己に親切なれ 何事にも親切なれ 親切こそ人間の第一義なり 第一義に徹するは努力なり 努力なく科学なき人生に栄光なし (星薬科大学本館に掲げられている額縁の文章(写真)より)

「何事にも」とは、「何人にも」、「時間にも」、「物品にも」と星一氏自身が講演などで解説しています。 中学生だった私にとっては、淡々としていてそれでいて内なる熱さを感じる文章を読み、その中で「親切第一」という言葉に触れたことで、自分自身も将来そうあれたらと願うようになりました。 そして社会人になって、星一に関する3冊目の著作に出会いました。最相葉月氏が著した「星新一~1001話をつくった人」でした。 この本を読んだのは、すでに社会人になってある程度仕事をしていた頃でしたが、3冊目の本を読んで、「親切第一」の理念を最後まで守りながら、企業経営としては結局失敗したと言わざるをえない結果になったことを知り、衝撃を受けました。推測ですが、私は、星一氏が自身は死なないことにしているから、新たなアイデアを事業化して、親切第一を守り続けて精進すれば経営好転する、と思い込んでいたのではないかと思っています。しかし、それがために後継者や取り巻くスタッフを育てることを結果としてできず、最終的に実質的な撤退に至らざるを得なく原因だと推測しています。このことは、今日的にも課題となっている事業承継の問題を明らかにした大きな事例とも言えるでしょう。 これらの3冊の本を読み、「親切第一」の理念は正しくても、日本社会の闇に巻き込まれ苦難の連続、その中で理念とは異なる結果に行きつくことがあることを知りました。様々な主体がいる中でもまれながら事業を続けることの難しさの一端を知ることができたのです。

2.境界は隔てるものではなく、繋ぐもの

私は、大学時代にわずかの期間ですが、ものとものの摩擦の機構に関する研究に携わっていました。そのきっかけとなったのは、摩耗機構の研究の第一人者である笹田直先生の次の言葉でした。

「君たち、ものの端というのはどうなっているのか、考えたことがあるかね?」 「大まかにいえば、見た目にはものの端と見えても、原子レベルでは、ものの原子と空気を構成する分子が混在している部分があり、その中のどこまでがものでどこまでが空気かは何とも言えない。つまり、境界があるように見えても、自然はそこで連続している。」 この話を聞いて、自然現象としての境界の機構に俄然興味を持ちました。

さらに言えば、ものの表面は原子レベルでは、様々なものがくっついており、結果として多くの場合、境界にはそのくっついているものが挟まることになります。このものの挙動次第で、摩擦の大小が変わることはよく知られています。 この性質を応用して、私たちはものどうしの摩擦を減らしたり、増やしたりするためには、接触面に油をさしたり、摩擦抵抗の大きい素材をブレーキのパッドに使用したりするわけです。 つまり、ものとものに境界はあるように見えても、ミクロに見ればものとものとは繋がっている。そして、多くの場合境界に何かがあり、それを挟んで繋がっている。例えば、それは生垣のようなイメージと言えるかもしれません。そして、その何かの役割次第で、ものとものの関係が変わる、例えば摩擦が大きくなったり小さくなったりできるというわけです。 このことは、自然科学の話ですが、人間社会でも境界に関してはやはり同じようなことが言えると感じました。 例えば、私が道外からの工場誘致をお手伝いする仕事をしていた時のことです。その際には、様々な課題がありそれらを克服するため、地元市役所の職員と共に、担当官庁と折衝することがありました。最初は破れそうにないと感じる壁がたくさんありました。どうにかならないか、市役所職員と知恵を絞り、類似の事例を見つけて文献を持ち込み、何度も足を運び、結果的に目指した方法は取れませんでしたが、解決策を見出して、立地に結び付けたことがありました。 地元の市町村の新商品開発のために、足並みを揃えて知恵を出して、許認可を出す官庁と折衝したり、時には国外に工場を移そうとする企業の方を説得して、知恵を出し合い、国から大きな補助金を得たこともありました。 私は今まで一緒に歩んだ市町村、産業支援機関の皆さんからは教えられることがあっても、反目することはありませんでした。志はただ一つ、少しでも地域に雇用を増やせるような取り組みを積み重ね、少しでも数多くの人に地域に残ってもらい、外から落としてもらったお金を地域で回すことでした。その一点でやれることを数多く手がけました。 この時に、組織と組織、人と人も境界はあってもそれは壁ではなく、どこかで繋がっている。そして、繋ぐ役割に大きな意義があると感じたのです。

3.北海道産業クラスター創造活動の実働部隊として

北海道の経済施策の長年の取り組みとして、産業クラスター創造活動があります。平成10年頃から、経済界がリードしつつ、官民一体となって調査事業から始まり、産業支援機関での専門部署の設置と実際の活動へと進展しました。最初の10年は食・住・遊の3つのカテゴリーで様々な取り組みを行いましたが、その後は主に食クラスターということで、食を中心とした取り組みが続けられています。 産業クラスター創造活動とは、地元にある第一次産業を基盤として、それを応用した第二次産業である製造業や第三次産業であるサービス業をブドウの房(クラスター)のように育てていこうという産業理論の元に行われており、フィンランドの産業政策を範としています。フィンランドは人口と気候、風土がよく似ており、林業から、電力産業、電子通信産業と展開し(携帯電話の大手であるノキア社はフィンランドの企業です)、着実な経済成長をしています。 私は、縁あって2年弱、産業クラスター創造活動の実働部隊への出向を命じられ勤務しました。 職場のメンバーは、道内の主要企業と自治体からの出向者、その機関のプロパー職員と、これまでの勤務とは全く異なる民間主導のメンバー構成でした。自分自身も相当の熱意と覚悟を持って乗り込んだつもりではありましたが、同僚は優秀で最初はずいぶん戸惑いました。しかしそのおかげで様々な経験ができ充実した貴重な期間を過ごすことができました。 その時に自分の支えとなったのが「親切第一」という思いでした。まさに、それを地域の中小企業の皆さんに実践することができたのです。例えば、札幌市内の教育機関と地域の企業を結び付け、学生のパッケージデザイン案を活用し、主婦らの意見を取り入れた新商品作りをコーディネートしました。 しかしその一方で、厳しい現実にも向き合いました。一番つらかったのはプロジェクトの担い手企業が破綻し、その後処理の対応をせざるを得ない時でした。昨日までは一緒に、新商品開発に向けて、知恵を出し合って頑張ってきたのに、破綻を境にこちらの補助を受けて購入された財産の保全に走ることもありました。また、産業クラスター創造活動を続けるために敢えて鬼にもなり、プロジェクト支援の打ち切りにも取り組みました。親切第一という思いとは一見矛盾する行為ですが、本当の意味を考えれば目先の支援の継続が、何よりその企業にとっても、結局プラスにならないと思ったのです。

4.「親切第一」を胸に行政書士業を開業

前の勤務先で多くの企業の皆様、産業支援機関の仲間、熱心な市町村職員らと一緒に仕事をさせていただいたことは、私にとってとても幸運なことでした。 ただ、地域のために、企業のためにと思って動けば動くほど、様々なストレスも増えていきました。迷った末に50歳を機に、より自由度の高い立場で自分の経験を活かせたら、と思い、親切第一を胸に、境界にあって様々な主体を繋ぐ役割として課題解決することがしたいと思い、行政書士の資格登録をして、この度の開業に至ったところです。 皆様のお引き立て、御指導、御鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

お問い合わせはこちらからどうぞ。